二人の愛の証「あじさい」

「あじさい」は、出島のオランダ商館医・シーボルトのお気に入りの花でした。
長崎の地で、運命の女性・お滝さんと出会い、イネという娘をもうけました。
任期を終えて、一旦帰国する事になったシーボルトの荷物の中から、国外への持ち出しが禁じられていた地図などが見つかった為、1829年、シーボルトは国外追放となり(シーボルト事件)、日本への絶ちがたい思いを胸に1835年「日本植物誌」を発表し、その中で彼は、大好きなあじさいに愛する人の名前から「ヒドランゲア・オタクサ」と学名をつけ、ヨーロッパに紹介しました。

シーボルトとお滝さんが再会出来たのは、安政の開港の年。
30年の歳月が流れていました。

近年では、品種改良された西洋あじさいが多くみられますが、もともとは日本に自生していた梅雨の季節の植物です。

昭和43年に、公募で長崎市の花に選ばれました。

これからますます美しさを増すおたくさ達に会いに来られませんか?